怒涛の2ヶ月半

ムーラン(林)です。

しばらくこの「よもやま話」を書く余裕がなかった私です。物理的にもメンタル的にも。

まず、予定より1ヵ月早くクリスマスに娘が第2子を出産した。妊娠高血圧症候群(昔の妊娠中毒)で早く出さなくては母子ともに危険な状態だったので。

そこで私は予定より早く東京の娘宅に手伝いに行くことになった。家事に加え、上の孫の保育園送り迎えに遊び相手にと大忙しの年末年始だった。でもまったりと上の孫と過ごすことができて、楽しかった。

娘は順調に回復退院し、小さく生まれた孫も保育器の中ではあるが順調に育っているようで、一安心した。

が、それもつかの間、今度は実家から連絡が入り、父が肺炎で入院したという。

その後しばらく私は東京と名古屋を行ったり来たりすることに。いったい何度往復したことか。

本当にカラダが2つ欲しかった。

 

父は良くなったり悪くなったりを繰り返したが、やはり高齢の上、元々の腎臓病もあったので肺炎には勝てず、3月1日に亡くなった。88歳だった。

入院した時から様子がいつもと違うし、何となく「今回ばかりはダメかな・・」と母も私もある程度の覚悟はしていたのだが・・でも・・何だか・・お正月には元気だったのに。

でも父は、最期まで父らしく根性の粘りを見せてくれた。

看護師さんたちも「こんな人は珍しい」と驚くほど。 それはまた改めて書きます。

 

・・そんなこんなの怒涛の2ヶ月半だった。

まだ諸手続きや仏事が続くので、落ち着いては居ないのだけど、少しずつ日常を取り戻しつつある。(一人になった母のことは気になるけれど。)

 

暮れから私は友人との約束はじめ、全ての予定をキャンセルし、自分の時間もなく過ごしてきた。

そこで友人とのおしゃべりが私の原動力なのだと改めて気づいた。

バカ話をして「ワハハ」と笑う時間がいかに大切か。そんな時間に飢えていた。

これから少しずつその飢えを回復したいと思っている。