暇と退屈

榊原(葉っぱ)です。

『暇と退屈の倫理学』とかいう本を読んだ。とかいう…というのは、もう手元になく題名がうろ覚えだからだ。哲学書のようで難しかった。

息子が来た時、手に取っていたから、私が「難しかった。最後までわからないまま読んだけど。」と言ったら、息子が「読んでみる。」と持っていった。彼ならわかるかもしれない。

なんでその本を読んだかというと「暇」と「退屈」についてよく考えるからである。

今はあれこれとやることがあるけど、(孫を預かったり、水泳も楽しいし、家の中を片付けなくてはと思うし、読み聞かせボランティアもあるし、ニンカンネットスタッフでもあるし、父のこともあるし、母のこともあるし、)

だけど、孫も大きくなって友だちと遊ぶ方が楽しくなってもう来なくなったり、車の免許返納して水泳教室に通えなくなったり、家の片付けも終わったり…って全部やることがなくなったらどうするのだろう。何にもやることがなくなったらどうなっちゃうのだろう。暇で死んでしまうのかも。いや、退屈で死んでしまうんだ。

世の中もどんどん便利になって、空いた時間を何に使うのだろう。「そうなると、また別のやることが出てくるんだよ。」と、私の疑問に息子は答えたけど、やっぱり私は「暇」と「退屈」が怖いしわからないのだった。わからないから怖いのかな。

便利になってやることがなくなってしまうのが怖い。だから、私はあえて不便な方を選ぶ。それなのに面倒な事は嫌い。なんじゃいな、それ。

暇だけど退屈じゃないってこともあるな。暇じゃないけど退屈ってこともあるな。どんどん深みにはまっていく。そして、もっとわからなくなる。でも、こうして考えていることが楽しかったりする。

「暇と退屈のことを考えている人なんていないよ。」「いや、いや、そのことを本に書いている人だっているんだし。」

「やっぱり、葉っぱは変だって。」友だちに言われた。

やっぱり私は変なのか…?