ガラケー存続を切に願う
6期、古山です。
先日、海外で売れず採算の合わないガラケーが2017年度以降生産中止になるというニュースを見て、ショックを受けています。
私はいまだにガラケー、しかも字の大きいラクラクホンで充分間に合っており、世間にはそういうおばさんがたくさんいるのに、どうなってしまうのか。
家族は「ガラホにすればいいじゃない。」と言うけれど、在庫がなくなるまで頑張るつもりです。
だいたいガラケーという言葉が嫌です。
独自の進化を遂げたガラパゴス諸島が名前の由来らしいけれど、最初は柄のある携帯(なんだそれ?)の略かと思いました。
日本独自で発達したのなら、「日本式携帯電話」でいいのでは。
そして、店でスマートホンを勧められても、「外でパソコンを開く習慣がない。道に迷ったら、人に聞けばいい。」と断り続けています。
店員さんは「外でも乗り物の時間とか調べられますよ。」と言うけれど、自分の乗るバスの時間ぐらい、家で事前に調べなくてどうする。
「類は友を呼ぶ」のか、友達も普通の携帯電話が多く、「これがなくなったらどうしよう。」とランチの時に話題になりました。
電報を打つ、伝書鳩を飛ばす、のろしを上げる、飛脚に頼む、手旗信号などより原始的な通信手段の数々に皆で笑いころげ、最後に出した結論は「家の電話があるじゃない!」
そうだね、あれなら安いし、はっきり聞こえるから、声で相手の体調の良し悪しがわかるもの。
急ぎの用事でない時は、絵葉書にいろいろ書いて出そう…返事が来なくても平気です。
ガラケーがなくなった後のことを、少し真剣に考えています。