デジタル音痴

榊原(葉っぱ)です。

私は音痴であり、方向音痴であり、デジタル音痴である。音痴であってもカラオケには行く。方向音痴であっても自動車を運転する。困っているのはデジタル音痴であることだ。

以前はそれほどでもなかった。子ども会の名簿もイラスト入りで作っているし(40歳代後半だろうか)、イギリスにいた知人ともメールでやりとりをしている。「よもやま話」も初期の頃は楽しくてたくさん書いていた。

世の中はデジタル化がとんでもない速さで進んでいく。私はついていけなくなった。どんどん便利になって、やれることが増えていくが、私にはそれらの機能はそんなに必要のないものだった。それに、詐欺メッセージが巧妙になり何を信じていいのかわからない。本当なのかどうか疑ってしまう。警告メッセージで表示されると、「はい」を押していいのか「いいえ」なのか戸惑ってしまう。それで、その先に進まないのだ。

亡くなった夫はいつも楽しそうにパソコンを操作していた。何か頼むと、私が思っていたものよりずっといいものができた。それを褒めると、嬉しそうにしていた。

夫が亡くなってから私はパソコンを新しいものにしたが、滅多にパソコンを開かない。こんなに使いやすいのに、サクサク動くのにもったいない。たぶん好きじゃないのだろうなぁ。気づけば以前は難なくできていたことも、すっかり忘れてできなくなった。

それで、ムーランのパソコン教室である。本当に助かっている。月に1回ムーランが家に来ないと、ほとんど私はパソコンを開かないからだ。上達は望んでいない。ただムーランがそばにいてくれるとほっとするのだ。どこかで食事をして、どうでもいいような話をして、お菓子を食べて、パソコンはちょっとだけだけど、それだけで安心するのだ。

そっか~。そうなんだ。苦手なことはやめた。人任せでいいんだ。わからなくなったら得意な人に聞く。困ったら助けてもらう。

夫が「俺が助けてやれない分は、みんなに助けてもらえ。」って言っている。「ひとりでできなくていいから。」と言っている。そうだ。ずっと私そうやって甘やかしてもらっていたんだ。