お正月(2018年)

榊原(葉っぱ)です。

「明けましておめでとう」とつい先日挨拶をかわしたと思ったら、もう松の内も過ぎ、今日は成人の日である。

今年のお正月、私はウールの着物を箪笥から引っ張り出して着てみた。着物なんて自分で着たことないから、着付けの本を見ながらなんとか着てみた。
案の定、へんちくりん。羽織でなんとかごまかす。
なんで着物なんか着ようかと思ったのかというと、お正月らしいことをしてみたかったからである。

最近のお正月は一年の始まりの特別な日でもなく、日常に毛が生えたような感じ。
お店も開いているし、着物を着て祝う人も少ない。しめ縄を玄関に飾っている家も少なくなった。

私も今までやってきたお正月行事をどんどん省略している。
年末の大掃除もかなりいい加減になってきた。
子どもの頃は、母が「家をきれいにして年を迎えないとお正月という神様がこない。」と言い、家族総出で大掃除をした。
寒空の下、外で網戸を洗い、窓を開けてぴかぴかになるまで窓拭きをした。それが子どもの私は楽しかった。
しかし、大掃除の手を抜いてもお正月は来た。それがわかると、年末の掃除は年々省略する箇所が増え、こんな寒い日にしなくても、ゴールデンウィーク頃にしようということになった。
でも、本当は年末に大掃除をするってことに意味があるんだろうなとは思っている。

日常に毛が生えたような日になったと言っても、やはりお正月はお正月だ。
家族が集まる特別な日だ。父母、息子、娘夫婦、妹家族が集まり、楽しく食卓を囲む。
普段なかなか帰ってこない息子は父の隣に座り、おじいちゃん孝行だ。
父は初孫でもある大好きな息子と酒を酌み交わす。
父はかなりの上機嫌だ。おいおい、そんなに飲んで大丈夫か。とてもうれしそうだから、まっ、いいか。
仲よさそうな娘夫婦や、父母のことを気遣ってくれる妹家族。
そして、なんでも美味しく食べて丸々太った笑顔の夫。
今年もいい年でありますように。

家に帰ると、年賀状が届いていた。
一枚、一枚見て、私はこの人たちと出会って幸せだなと思う。
「葉っぱさんのよもやま話楽しみにしています。」と書いてあったのが、数枚あった。
ありがとうございます。
私は「よもやま話」を書く機会があって、書く楽しさを知った。
今までは「歌のうまい人はいいなぁ。」「楽器が弾けていいなぁ。」「ファッションセンスがありかっこいいなぁ。」とか人を羨むことばかりだったが、「葉っぱのよもやま話好きだよ。」っていう言葉で私は自分のことが好きになれた。
この出会い、大切にしていきたい。
もっと「言葉」を大切に使おうと思う。
みなさん、今年もよろしくね。