ニックネーム(葉っぱ編)
榊原です。
以前、ムーランが自分のニックネームのことを書いていたので、
今回は私「葉っぱ」が書きます。
私が「葉っぱ」というニックネームをつけられたのも、
ムーランと同じ小学3年生の時。
国語の授業で「葉」という漢字を習った時だったと思う。
私の名前は「葉子」なので「葉っぱ」となった。
その頃の私はおとなしい子。自分に自信がなかった。
成績も普通。目立ったところはなかった。
名古屋からの転入組で、田舎の小さな町に馴染めなかったのかもしれない。
ニックネームをつけられて少し嬉しかった。
4年生になった。
クラス替えはなかったが、担任の先生がかわった。
男の先生M先生は私が「葉っぱ」と呼ばれているので同じように「葉っぱ」と呼び、
時には「菜っぱ」や「かっぱ」と読んだ。
私の妹は運動神経がよく足の速い子で有名だったので、
そんな妹と比べてか、母は私を「グズ」だとよく言った。
そのためか、私は運動のできないダメな子だと自分で思っていた。
跳び箱が苦手だった。
M先生はある日「跳び箱の跳べない子は居残り。」と言った。
10人くらいの子が放課後毎日跳び箱を跳んだ。
それに先生は毎日付き合ってくれた。
一人跳べるようになり二人跳べるようになり、
居残り組はだんだん少なくなった。
すると、跳べるようになった子たちが
「もう少し前に手をついたらいいよ。」とか「踏み切りの位置はここら辺。」とか
教えてくれるようになった。
私は家でミシンに布団を被せて練習した。
結局、全員跳べるようになり、クラス全員「やった~」と喜んだ。
先生も嬉しそうだった。
そんなこともあり私たち3年2組はまとまっていった。
3年2組はみんながニックネームで呼び合っていた。
「しり」「ゲロ」「ゲゲス」「たぬき」「ボケ」「ダンプ」・・・
なんだかすごいでしょ。
「しり」は柘植くん。「つげ」をひっくり返して「ケツ」。
「ケツ」が進化?して「尻」となった。
「ゲロ」は鵜飼さん。「うかい」が「うがい」となり、嗽はゲロゲロとするから「ゲロ」となった。
「ブス」なんて子もいた。本当はかわいかったけど。
「ブス~」と呼ぶと「はぁ~い」と返事をしていた。
いじめはなく、毎日が楽しかった。
ある日、「葉っぱは足が速いから、このクラスのリレーの代表な。」と先生が言った。
えっ、私って足速いの?とびっくりした。
運動会の日、走っている時「はっぱ~」「はっぱ~」とみんなの声援が聞こえてきた。
先生はよく生徒たちの似顔絵を描いていた。
(美術が専門だったのだと思う)
「展覧会に出す絵に葉っぱを描きたい。」と先生が言って
放課後、私は絵のモデルになった。
他のクラスの子たちも覗きにきて、私は少し恥ずかしい気持ちだったが嬉しかった。
その頃から他のクラスの子も私のことを「葉っぱ」と呼び始め、
学年のほとんどの子が私のことを「葉っぱ」と呼んだ。
中学に行っても、高校生になっても「葉っぱ」だった。
そして、南短でも「葉っぱ」だった。
おとなになってから、同窓会でM先生に会った。
先生はやっぱり私を「葉っぱ」と呼んだ。
先生は全員のニックネームを覚えていた。
定年間近の先生は、定年後はどこか遠くの田舎に行きのんびり絵でも描いて暮らすと言っていた。
それから2年後先生は亡くなったと聞いた。
ムーランは自分のニックネームを気にいっていると言っていたが、
私も「葉っぱ」というニックネームが好き。
ところで、私の娘はムーランのことを「ムーランさん」と言う。
「ムーランさんに伝えてね。」とか「ムーランさんによろしく。」と言う。
絵本にでてきそうな「ムーランさん」。なんか楽しいな。