「やらかし」のあと
ムーラン(林)です。 連投失礼。
人間、誰しも大なり小なりウッカリ失敗はする(と思う)。でもその後の対応に2通りあると私は思っている。それは、失敗を面白おかしく発表する人と、隠す訳ではないが、特に誰にも言わない人。(だからその人は、あまり失敗しない人と思われているかも)
私は明らかに前者。
私は本当に細かい失敗は数知れない。でもこう見えて、仕事上でのミスはほとんどなかったので、幸い人に迷惑をかける失敗は少ないつもり。(仕事など、スイッチオンにして気合を入れるとちゃんとできるタイプである、と思っている)
多くは、自分が困るとか、焦るとか、恥ずかしいとか、痛い思いをしたとか、迷ったとか、そんな「失敗」や「やらかし」ばかり。
それらをいつも必ず、周りの友人たちにお披露目している。黙ってはいられないのが私。ここ「よもやま話」に書いたこともあるし。
ただ、私の場合、お披露目して「大変だったね」とか「え〜大丈夫?気をつけなきゃ」とか、そんな慰めや寄り添いの言葉は一切いらないのである。
まして、注意されたり指導されたりするなんぞ、もってのほか。「知らん。ほっといてくれ」と思ってしまう。
「アホか」とか「またやらかしたん?」と、ガハハと笑い飛ばし、呆れてくれたら本望なのだ。
幸い、なのか「類は友を呼ぶ」と言うべきか、私の周りの友人たちは揃いも揃って「やらかし」の達人。
昨日はあっちの誰かが、今日はこっちの誰かが何かをやらかしたと、枚挙にいとまがない・・・ちょっと大袈裟だけど、そう思ってしまうほどに頻繁。話すネタは尽きない。
それはまるで、高齢者が医院の待合室で交わす「病気自慢」のようなものだ。
そんな状況だから、お互い慰め合うヒマも余裕もなく、まして指導する技量など1ミリも持ちあわせていない。
いつも笑い飛ばして終わり。で、忘れちゃう。たまに思い出して「あの時あんな事やらかした」とネタにし、また笑う。
そしてまた繰り返す。 全くもって懲りない面々である。
・・・という訳で、そういう意味でも「きっと私は、友人に恵まれているのだ」と、改めて思った次第。