痛みはわからないとわかったこと

榊原(葉っぱ)です。

昨年の暮れ、私は体調を崩していた。
喉の痛みとともに、突然声が出なくなった。言いたいことが言えない。伝えたいことが伝わらない。
なかなか治らなくて、このままずっと声がでなかったらと不安になった。
耳鼻咽喉科で出してもらった薬を真面目に飲んで、なんとか声が出るようになったと思ったら、今度は咳が止まらない。
特に夜、咳き込むことが多く、ぐっすり眠ることができなかった。
本当に本当に辛かった。
夫が入院中の時で、一人で夜苦しんでいるのが怖かった。
咳き込んでいる中で、思った。夫はこの苦しさよりも何倍も苦しかったんだろうなと。

夫は肺癌が進行して、胸水が5リットルも溜まっていた。咳き込んでいた。苦しそうだった。熱も出た。
それでも、朝、熱が下がると仕事に行った。
孫が遊びに来ると連絡があると、孫が来るまで体力を温存するため寝ていた。
孫と遊んでいる時は無理して遊んでいた。でも、幸せそうだった。
最後にははぁはぁと息切れしていた。
私はずっと心配をしていたが、夫は「大丈夫」と言った。
そして、無理しすぎて緊急入院となった。

それでも、私には夫の痛みがどんなのかわからない。自分が痛いわけではないからわからない。
病院で夫は「あなたの今の痛みは10が最強に強い痛みとして、0~10のどの値ですか。」とよく聞かれる。
医師や看護師も患者の痛みがわからないから、少しでもわかろうとして数値にして聞いているのだろう。

私の痛みや苦しさは他人にはわからない。私が他人の痛みや苦しさがわからないように。
わかってくれないと悲しくなったりはしない。そういうものだと思う。
誰かに話を聞いてもらったり、気晴らしに何か楽しいことをするが、それでも、そこから這い上がるのは自分の力だけなんだと思う。
・・・なんて言うと、私が今苦しんだり悩んだりしているのかと思われそうだが、私は呑気に過ごしている。
数値にしたら、0か1だ。
年末のあの咳き込みがあまりに辛くて、その辛さは人にはわからないってことがわかって、そう思っただけだ。
優しい友たちよ、ご心配なく。

痛みは人にはわからない。自分で耐えるしかない。
そのために、音楽があり、文学があるのだと思う。
歌があり、本があり、友がいて、家族がいるのだと思う。
だから、自分の痛みをわかってもらえなくても、誰かに話してみたら耐える力はもらえる。

う~ん。私の言葉の力が足りなくて、自分が思ったことが伝わったか不安なのだが、61歳にしてやっとわかったことだ。