脱 アンチエイジング

榊原(葉っぱ)です。

「令和をハッシュタグするとね、こんな写真がたくさんあがってくるんだよ。」と友がスマホを見せてくれた。
私はスマホに精通していないからハッシュタグなるものもSNSなるものもよくわかっていないのだけど(ラインでみんなとやりとりできればよしって人なので)、
写真は40代から50代の女性たちがここぞとばかりにかわいいポーズで写っている。
令和とこの写真と何の関係があるのかわからない。
美肌でくりくりの大きな目、まるでお人形のような顔の人ばかりだ。
そのお人形のような人たちは何か不自然な感じがする。

人間の価値って若さだけかなぁ。
そりゃあ、私だって「若く見えますね。」と言われれば少しは嬉しいけど、やっぱり年相応に年をとりたい。
60歳の私が白髪もなく、しみもなく、しわもなかったら、それはそれで恐ろしいだろう。

ある本の中で川上麻衣子が言っている。
「(女優の秋吉久美子さんは)コケティッシュに可愛く年を重ねてずっと変わらない印象があったんです。
それを久美子さんに伝えたら”変わっているから変わらないんだよ”って。
その時代、時代で変わらないと。若い頃に可愛いって言われた自分を引きずっていたら置いてきぼりでかわいそうな女に見えると教わったんです。」
(武田鉄矢「西の窓辺にお行きなさい」より)

変わらないということは日々変わっているのだと思う。
いつまでも若い時の容姿にこだわっていては今の自分を否定していることになるのではないか。

私は60歳になるのが楽しみだった。
それまでもうっかりものだったけど、年をとったらもっと磨きをかけて全てのことを許せていい加減でいたいと思う。
もちろんしみは嫌だから化粧品はホワイトニングを使い紫外線はできるだけ避けようと思うが、
今楽しめるなら、少しぐらい化粧が落ちてもいいし、帽子が邪魔ならかぶるのやめるし、
みんなが楽しめないと思ったら日傘もつぼめる。
グレイヘアにはあこがれるが、きちんと手入れができないからしばらくは染めると思うけど・・。
衰えていく自分を受け入れて、それを面白がって生きていきたい。

昨日、病院帰りに夫と散りゆく桜を見た。
5日前は夫と名古屋城で満開の桜を見た。
満開の桜、散りゆく桜、どちらも美しかった。