夏休みの宿題

榊原(葉っぱ)です。

今日、ツクツクボウシの声を聞いた。もうすぐ夏休みも終わりだ。
学生なら夏休みの宿題が気になる頃だ。

宿題を早めにやって遊ぶタイプと、前半は遊んで夏休み終わる頃あわててやるタイプとがあるが、
意外と思われるかもしれないが、小学生の私は宿題のサマーワークや読書感想文は7月中に終わらせていた。
工作とか夏休みの思い出の絵とかはひとつふたつ8月の終わりころまで残っていたりした。

私は小学生の頃は母方の親戚の中で育った。(父は新潟県出身なので)

母方の祖父は理系の頭のものづくり人間。
私の夏休みの工作がまだ終わってないと知ると、嬉々として作ってしまう。
それも、絶対小学生が作れそうにないすごいものを。
完成したものを嬉しそうに「持っていけ。」と渡してくれるものだから、私は自分で作りたかったのに・・と思いながら、
学校に持って行くことになる。

父は書道が得意で、これまた嬉しそうに書いて「持っていけ。」と言うので、私は自分で書いたのに・・と思いながら、
学校に持っていく。

母の年の離れた妹(私からすると叔母で、その頃は高校生)は洋裁や手芸が得意で、これまた見事なアップリケの布かばんを
作ってくれて、私はもうちょっと下手に作ってくれればいいのに・・と思いながら学校に持って行った。

誰も小学生の宿題ということに考えが及ばないようで、私は先生に「これはおうちの人に手伝ってもらっただろう!!」と
叱られるのである。
手伝ってもらうもなにも全部やってもらって私はただ持っていくだけである。それも頼んだわけでもないのに。

幸い、絵の得意な人と文を書きたい人はいなかったため、私は夏休みの絵と読書感想文は自分でできた。
夏休み前半に描いた絵が納得がいかなくて描き直していた時に、父に「こんな夏休み最後の日にやるな!!」と怒られ、
絵も絵の具も全部庭に放り出され、泣きながら拾った思い出もある。

計算ドリルの宿題を忘れていて、間に合わなくて泣きながらやっていたら、母に「もう夜遅いから寝なさい。」と言われ
泣きながら寝た。
朝起きると、母が答を薄い字で書いてくれていた。
私はその数字を濃い鉛筆で自分の字で書いた。
母の優しさにまた泣けてきた。

今思うと、私は幸せな子どもだったと思う。