ムーラン(林)です。

私とFacebookで繋がっている方は投稿でご存知と思うが、娘一家と沖縄4泊5日の旅をしてきた。

台風前、奇跡の晴天5日間だった。

海と空はどこまでも青く、広く、孫たちとホテルのプールで遊んだり、「海底展望」や「美ら海水族館」、天気に恵まれ楽しく、満喫してきた。

が、今日はそれとは別の視点から沖縄を書こうと思う。

私は沖縄本島を訪れるのは初めて。まず、米軍基地の広さに驚いた。あまりにも広大で。走る道の両側が延々と米軍基地だったりする。そこは物々しく囲われている。そして頻繁に爆音で米軍の飛行機が飛んでいた。

観光客だらけのリゾート地の上だろうと、当然のように我が物顔で飛んでいく。

また、見たことのない米軍機も見かけた。大きなお皿のような物体を機体の上に積んだ、レーダーをキャッチするための飛行機らしい。その姿は異様でさえある。

観光客に混じって屈強な米軍兵や、基地関係者もたくさん見かけた。

‥‥そうか、これが沖縄なんだ。

沖縄の人たちはずっと、何年もこの生活をしてきたのだ。

私は沖縄がアメリカから返還された日のことをよく覚えている。1972年。今年、ちょうど50周年だ。私は物事何も深く考えない中学生だった。戦争なんて遠い昔の事で、全く関わりない事だと思って生きていたのだが、この時ばかりは「戦争」の名残りを感じた。「まだ戦後なんだ」と中学生なりに感じた。

テレビでは、ドルを日本円に換える人々、車が右側通行から左側通行になったこと、その混乱を放映していたのが記憶に残っている。

返還され、日本であるのには間違いないのだが、沖縄は、今もあの広大な米軍基地と共にあるのだ。あの米軍機の爆音と共に。昭和から平成、令和となった今も。

沖縄の人たちに対して、何だか申し訳ない気持ちになった。

そんな事を感じた沖縄旅行だったが、私にとってそれで終わりではなかった。たまたま、後日、友人が司会をする「昭和区平和のつどい」に行ってきた。

そこでは高校生たちが戦争反対、平和を訴えていた。沖縄戦のことを調べて発表している高校生もいた。忘れてはいけないのだと。

戦争の悲惨さを語り継いでいくのは自分たち世代の使命だと。

「バトンを僕たちで終えてはいけない」それはとても力強い主張だった。

沖縄を見てきたばかりの私には、特に心に響いた。

リゾート地である沖縄には、返還され半世紀経った今も、青い空と海と共に、ずっとあの米軍基地があること、私たちは忘れてはいけないのだと思う。